バーバラ・クラフトによる肖像画(1819年)
Johannes Chrysostomus Wolfgangus Theophilus Mozart
「神童」
出身地 神聖ローマ帝国・ザルツブルク
 「私は音楽家になっていなければ、ダンサーになっていただろう」という手紙を残したモーツァルトは、頻繁に舞踏会へ出入し、踊りを熟知していたと言われています。この日は形式的舞曲、バレエ曲、舞踏会曲と、彼の三つの異なるタイプから選曲しました。 *なおバレエ『レ・プティ・リアン』の曲はすべて彼の作曲というわけではありません。

 メヌエットは1660年代に舞踏会のレパートリーに仲間入りし、ヨーロッパ中で人気を博しました。クーラントやサラバンドなど同時代の他の踊りが廃れた後も、高格な宮廷舞踏として100余年間踊られました。ただ踊り方は少しずつ変化し、モーツァルトの頃はゆったりとした雰囲気で、テンポも遅くなっています。

踊りの挿絵

 ガヴォットは一度廃れた後、モーツァルトの時代に再び踊られるようになりました。フランス王妃マリー・アントワネットが軽快なこのダンスを好んだから、という説もあります。基本ステップはバロック時代のものに比べて細かく刻むようになり、軽やかさ、愛らしさが一層増しています。

 ドイツ舞曲は主に手を使って踊り(左図)、時代と共に大きくなっていったファッションとは反比例し、この踊りではパートナーとの距離が近くなっています。ワルツの到来を予感させる踊りだったと言えましょう。

バッハの舞曲
ページトップ ▲____